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日本初の女医「荻野吟子」の人生(その4)
作成者: 日本人の9割が知らない歴史(@picolis_history)
- 1890年、40歳の荻野吟子は13歳年下の敬虔なキリスト教徒、志方之善と再婚。しかし、幸せな結婚生活は束の間、之善からキリスト教徒の理想郷を創るために北海道へ渡ることを告げられる。
- 翌年5月、之善は吟子を残し、現在の北海道瀬棚郡今金町神丘へ渡る。之善はこの地を、新約聖書で「神 われらと共にいます」を意味するインマヌエルと名付ける。
- 吟子は明治女学校の寄宿舎の監督をする舎監となり、荻野医院を石井亮一に貸し出し、ここが孤児たちの施設、聖三一孤女学院となる。
- 3年後、吟子も意を決し、之善のいるインマヌエルへ渡り、一緒に暮らし始める。しかし、開拓地の実情は過酷で、毎日の激しい労働でマラリアにかかり、顔や手足は蚊やアブに刺され、赤く膿みただれていた。
- 1896年、吟子と之善は長万部村国縫へ転居。その頃、之善の姉夫婦が赤ん坊のトミを残して亡くなっており、二人はトミを養女として迎える。
- 1903年、之善が京都の同志社へ再入学。吟子は札幌へ一時転居し、札幌で医院を開業するが、52歳の吟子は病にかかり、埼玉の熊谷にある姉の家で療養し、翌年に瀬棚に戻る。
- 1905年、同志社を卒業して北海道浦河教会へ牧師として赴任していた之善は、瀬棚へ戻ったものの41歳で病死。吟子はその後も、瀬棚で3年間診療を続ける。
- 1984年、公許女医誕生100年記念式典が開催され、社会貢献などの功績や僻遠の地での医療に従事した女医に贈られる賞として、荻野吟子賞が制定される。
- 2008年、熊谷市の天文同好会が発見した小惑星の名前を公募したところ、荻野吟子が選ばれ、吟子は星にもなる。
- 吟子が生前大切にしていた言葉:「人 その友の為に、己の命をすつるは、此れより大なる愛はなし」
作成日: 2024年3月29日 更新日: 2024年3月29日
関連ページ: https://youtu.be/e2kNOPtG_VU