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100年早かった女「伊藤野枝」【中編】
作成者: 日本人の9割が知らない歴史(@picolis_history)
- 1916年4月、21歳であった野枝は、辻と離別し、家族と仕事を捨てる。
- 翌月、アナキズム運動の中心人物・大杉栄と文通を開始し、秋には同棲開始。
- 大杉にはすでに妻(堀保子)と愛人(神近市子)がいたが、野枝とも愛人関係に。
- 1917年、野枝は大杉の子を妊娠。
- 日蔭茶屋事件:大杉への嫉妬から市子が大杉を刺し、重傷を負わせる。市子は殺人未遂で投獄。
- 大杉の自由恋愛主義による評判の低下。市子からの経済的支援の喪失により、生活が困窮。
- 翌年、大杉と保子が離別。野枝が長女を出産し、悪魔呼ばわりされるが、長女を「魔子」と命名。
- 大杉と野枝は貧困と監視下の非入籍の家庭生活を送る。
- 1918年、大杉とともに「文明批評」を、1919年には「労働運動」を創刊。共著も多数発表し、5人の子供をもうける。
- 野枝は「婦人労働者の覚醒」を執筆、1920年には「自由母権の方へ」を発表し、戦後のウーマンリブの結婚制度否定を50年も早く提唱していた。
- 1921年、日本初の社会主義婦人団体・赤潤会に顧問として参加。
作成日: 2024年2月26日 更新日: 2024年2月26日
関連ページ: https://youtu.be/_VGdMlOdEP4