50項目のリスト
混血孤児の母「澤田美喜」の人生
作成者: 日本人の9割が知らない歴史(@picolis_history)
- 【出生と家柄】
- ・1901年(明治34年)、三菱合資会社社長岩崎久彌の長女、創業者岩崎彌太郎の孫として生まれる
- ・男子3人に続く4番目の女児
- ・男勝りの性格で、それを気に入った祖母が兄のお古を着せ、取っ組み合いを良しとした
- ・祖父彌太郎の武士気質を受け継がされる
- 【教育】
- ・東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)付属幼稚園に入園
- ・高等女学校に進学するも中退
- ・母から海外渡航の夢を託され、津田梅子らを家庭教師として英語を学ぶ
- 【結婚と外交官夫人生活】
- ・数々のお見合いを経て、二十歳で外交官の澤田廉三と結婚
- ・岩崎家は真言宗徒だが、憧れのクリスチャンになれる
- ・夫の赴任に伴い、南北アメリカ、ヨーロッパ、北京に住む
- ・三男一女に恵まれる
- ・英語力と物怖じしない性格で社交界でも活躍するが、やがて華やかな世界に虚しさを感じる
- 【孤児院訪問と新たな目的】
- ・ロンドン滞在中、郊外の孤児院ドクター・バーナードス・ホームを訪問
- ・明るい子どもたちとボランティアに感銘を受ける
- ・毎週末孤児のために汗を流す
- ・院長の「捨てられた子を引っ張りだこになるような人間に変えるのは、素晴らしい魔法だ」との言葉に心揺さぶられる
- ・人を幸せにする喜びを胸に刻む
- 【戦時下と混血児問題の認識】
- ・1936年(昭和11年)35歳の時にニューヨークから帰国
- ・翌年、盧溝橋事件後、第二次世界大戦が始まる
- ・三男が戦死し、大きな悲しみを味わう
- ・戦後、進駐米兵と日本人女性の間に多くの混血児が生まれる。その多くが父不詳で母からも見捨てられ、町中で遺棄される
- 【混血児支援への決意】
- ・1946年(昭和21年)秋、列車で混血児の亡骸を目撃し衝撃
- ・ロンドンでの孤児院の記憶がよみがえり、天命を自覚
- ・「この子らの母になる」と決意
- 【施設設立への取り組み】
- ・夫の理解を得て、GHQに別荘の提供を訴える
- ・執拗な陳情の末、別荘を買い戻す条件で了承される
- ・寄付募集、私財投入、借金までして資金を工面
- ・1948年(昭和23年)46歳で、最初に寄付してくれた英国人女性の名を冠した「エリザベス・サンダース・ホーム」を開設
- 【運営と支援活動】
- ・差別的な言動や米軍の妨害に直面し、経営は窮乏
- ・資金集めの講演でグレー・スケリー(のちのモナコ公妃)と親しくなり支援してもらう
- ・1953年(昭和28年)、ホーム内に小中学校としてステパノ学園も設立
- ・約2000人の子供を育て上げる
- ・数近くを米国への養子縁組で送り出す
- 【方針と指導】
- ・無条件の愛情は保母へ、自らは厳格に振る舞う
- ・厳しい躾を徹底、特に黒人は「愛の鞭」で鍛える
- ・偏見と差別に耐え社会へ適合できる強さを身につけさせる
- ・差別に遭い道を踏み外す者もいたが、晩年まで愛情と厳しさは変わらず
- 【晩年と死去】
- ・世界各地で講演を続け、卒業生たちを訪ねる
- ・子を捨てた母からの手紙にも丁寧に返事
- ・1980年(昭和55年)78歳でスペイン・マヨルカ島の講演中、心臓麻痺で死去
作成日: 2024年4月6日 更新日: 2024年4月6日
関連ページ: https://youtu.be/fRTo3SWniJk