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日本のシンデレラ「モルガンお雪」の生涯
作成者: 日本人の9割が知らない歴史(@picolis_history)
- 1881年(明治14年)に、京都の老舗刀剣商「加藤正阿弥」の娘として加藤ユキが誕生。
- 明治3年に帯刀禁止令が発令され、父の商売は困難になり、ユキが生まれて間もなく父が亡くなる。
- ユキの兄は床屋を開業し、姉は祇園の芸妓となり、お茶屋兼置屋「加藤楼」を経営。ユキもこの影響を受け、芸妓の道へ進むことに。
- 14歳で「雪香」という芸名で芸妓となり、外国人専用の尾野亭で働き始める。
- 尾野亭での修行中に英語や西洋のマナーを学び、フランス大使をもてなした際には、ユキの流暢な英語と気さくな対応が話題となる。
- 1901年(明治34年)、アメリカのモルガン財閥創始者J.P.モルガンの甥、ジョージ・デニソン・モルガンが失恋の痛手を癒すために来日。
- 都をどりの舞台でユキを見て心を奪われる。尾野亭で再会し、ユキのもてなしと胡弓の音色に感銘を受ける。
- ジョージは4年間で3度来日し、ユキに高価な宝石や着物を贈り、熱心に求婚を続ける。
- しかし、ユキには10歳年上の恋人、川上俊介がいた。ユキは川上の学費と生活費を支えていた。
- ユキは牧野省三に相談し、牧野は冗談半分に高額(現在の約8億円)な身請け金を提示するようアドバイス。しかしジョージはその金額を用意し、再び求婚。
- 求婚話は新聞や雑誌で取り上げられ、社会的な注目と批判を浴びる。川上はユキに別れを告げ、別の女性と結婚。
- 川上の裏切りに傷心し、一時は自殺を考えるほど追い詰められる。僧侶の勧めで寺院に籠り、21日間の修行と瞑想を行う。
- ジョージの一途な愛に気づき、国際結婚を決意。ジョージはユキを正妻として迎えることを約束。
- 1904年(明治37年)1月20日、横浜領事館で結婚式を挙げ、ユキは「日本のシンデレラ」として世界的に注目される。
- しかし、アメリカ社交界はユキを受け入れず、また日本でも「金に目がくらんだ女」として批判される。
- 二人はパリに渡り、ユキは社交界で日本文化を紹介し、高い評価を受ける。
- ユキは茶道や生け花のサロンを主宰し、日本文化を広める活動を行う。
- 1915年(大正4年)、ジョージが心臓麻痺で急逝。ユキは莫大な遺産を相続するが、米国籍を剥奪され無国籍となる。
- 再びフランスに戻り、第一次世界大戦中にフランス陸軍士官サンデュルフ・タンダールと共に暮らし始める。彼の学問を支援し、約15年間の生活を共にする。
- 1938年、第二次世界大戦直前に欧州が不穏化したため、ユキは日本へ帰国。再び「金に目がくらんだ女」として世間の批判にさらされる。
- 戦中、財産の差し押さえを経験
- 71歳のときユキはキリスト教の洗礼を受け、静かに余生を送る。
- ユキは地域の文化活動に貢献しながら、時折パリ時代の着物やジュエリーを纏い外出する姿が話題となる。
- 1963年(昭和38年)、急性肺炎で81歳で亡くなる。ユキの三回忌には、パリの生花業者が来日し、白バラ「ユキサン」が捧げられる。
- ユキの生涯は東西の文化の狭間での調和を求める壮大な旅であり、その人生は小説や映画として後世に語り継がれる。
作成日: 2024年8月6日 更新日: 2024年8月6日