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日本最初の女子留学生「山川捨松」の激動の人生【パート1 日本編】
作成者: 日本人の9割が知らない歴史(@picolis_history)
- 【生誕と家族背景】
- ・1860年、会津若松に二男五女の末娘として生まれる。幼名はさき、のちに咲子となる。
- ・父は咲子が生まれる1ヶ月前に病死。祖父や兄が父代わりに。
- ・山川家は代々松平家に仕える家系。祖父は会津藩財政再建に貢献した家老。母は著名な歌人。
- 【戊辰戦争とその影響】
- ・1868年、8歳で会津戦争に巻き込まれる。籠城中、弾薬運びを遂行。
- ・食事中に炸裂した砲弾で長兄の妻を失い、自身も首を負傷。
- ・「ならぬものはならぬ」という厳しい藩の教育のもと、懸命に戦う。
- 【戦後の苦難】
- ・会津藩の降伏後、藩士とその家族は青森県斗南藩に移住させられる。
- ・祖父が病死し、長兄が藩の責任者に。咲子は函館のフランス人家庭に預けられる。
- 【留学への道】
- ・1871年、北海道開拓使の黒田清隆による留学生募集に応じる。男女問わず募集という画期的な計画に、咲子も応募。
- ・利発で西洋式の生活習慣に慣れていた咲子は、11歳で留学生として選ばれる。
- ・母から懐刀を受け取り、「捨松」と改名。留学のためアメリカへ旅立つ。
作成日: 2024年2月12日 更新日: 2024年2月13日