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岡本太郎の母「岡本かの子」の生涯
作成者: 日本人の9割が知らない歴史(@picolis_history)
- 1889年(明治22年)、神奈川県川崎市高津区二子の豪商大貫家の長女として、東京・赤坂区青山南町の別邸で誕生
- 虚弱な腺病質の体質で、両親と別れ二子本宅で養育母に育てられる
- 養育母から文学の手ほどきを受け、村塾で漢文、小学校で短歌を学ぶ文学少女だが家事は不得手
- 16歳頃から大貫野薔薇の雅号で女子文壇や読売新聞文芸欄に投稿を始める
- 兄の文学仲間である谷崎潤一郎ら文人の影響を受ける
- 17歳で与謝野晶子に入門し、新詩社の同人となり新体詩や和歌を発表
- 19歳で父と信州沓掛(中軽井沢)に避暑し、上野美術学校生の中井金三を知り、その友人岡本一平の存在を知る
- 翌年、岡本一平と出会い恋に落ちる
- 21歳で岡本一平(24歳)と結婚し、翌年には長男太郎が誕生
- 一平の放蕩で夫婦仲が険悪になり家計が行き詰まり神経衰弱で入院
- 早稲田生の堀切茂雄と恋に落ち、堀切を家に同居させる奇妙な生活に
- 仏教の教えに帰依し、仏教研究書の執筆活動を始める
- 弟が自殺し、更なる精神的ショックを受ける
- 堀切の他にも慶応大生の恒松安夫を家に同居させる
- 当時東大生だった川端康成と知り合う
- 1923年の関東大震災で島根の恒松実家に1年間避難
- 慶応病院で手術の際、外科医新田亀三と恋に落ち同居生活を送る
- 1929年、家族でヨーロッパ遊学の機会を得る
- パリ滞在中、息子太郎がピカソに衝撃を受け抽象画家を志す
- 帰国後、川端康成から小説の指導を受ける
- 1936年47歳で文壇デビュー。数々の傑作短編を次々と発表
- 1939年50歳で脳充血のため東京帝国大学附属病院で逝去
- 夫の一平が追憶記を執筆し、未発表作品を整理・出版
作成日: 2024年4月24日 更新日: 2024年4月24日
関連ページ: https://youtu.be/uWoDJoMHddM