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日本最初の女子留学生「山川捨松」の激動の人生【パート3 帰国編】
作成者: 日本人の9割が知らない歴史(@picolis_history)
- 1882年11月、22歳の山川捨松は官費留学を終え、11年ぶりに横浜へ帰国。
- 帰国時、アリス・ベーコンを招き、津田梅子と共に女子のための学校設立を夢見ていた。
- 捨松は日本語の読み書きがほとんどできなくなっていたこともあり、日本政府からの職の提供はなかった。
- 一見華々しく見えた、アメリカ留学では一般教養のみ学び、専門知識は身につけていなかった。
- 失望しつつも、女子に英語を教える私塾設立を計画。資金援助をアリスに依頼。
- 計画は兄・健次郎の反対で頓挫。
- 文部省から動物学と生理学の講師として東京女子師範学校への就職の吉報が届くが、日本語の問題で辞退。
- 22歳で既に婚期を逃したとされる捨松に、英語学者・神田乃武から縁談が。しかし、捨松はこれを断る。
- 捨松はアリスに送った手紙で、「22歳で売れ残り」との母の言葉を愚痴る。
作成日: 2024年2月14日 更新日: 2024年2月14日