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【婦人解放運動】東洋のジャンヌダルク「福田英子」の生涯
作成者: 日本人の9割が知らない歴史(@picolis_history)
- 生い立ち: 1865年、岡山藩の下級武士の娘として生まれ。幼少期から教育熱心な家庭で育ち、15歳で小学校助教員に。
- 転機: 18歳で岸田俊子の遊説に触発され、岡山女子懇親会を結成。翌年、母と共に女子教育のための私塾「蒸紅学舎」を設立。1881年に板垣退助らが設立した日本最初の近代政党「自由党」に影響を受ける。
- 蒸紅学舎の閉鎖: 1884年、集会条例により閉鎖命令。専制政府の弾圧を実感し、戦う決意を固める。故郷を出て、大阪にいる親戚の家に身を寄せる。
- 自由党解党大会: 大阪での解党大会に合わせ、資金援助を求めて自由党支持者を訪ねるが失敗。しかし、板垣退助に紹介され、学費の援助を受ける。
- 朝鮮改革運動への参加: 日本国内の自由民権運動と朝鮮人民の独立闘争を結びつけた大井憲太郎らの活動に参加。
- 大阪事件: 1885年、自由民権運動の一環として資金調達や爆弾運搬に関与。計画発覚で投獄される。
- 釈放後の活動: 1889年の大日本帝国憲法発布による恩赦で釈放。その後、大井憲太郎と一子をもうけ離別。福田友作と結婚し、3人の子を持つが、1900年に死別。
- 角筈女子工芸学校の開設: 1901年、女性の経済的自立を目的とした学校を開設するも経営失敗。
- 社会主義者へ:自由民権運動が勢いを失うと、石川三四郎ら社会主義者と交わって運動に身を投じた。
- 雑誌「世界婦人」の創刊: 1907年、女性の政治的独立を主張する雑誌を創刊。約2年で終刊。
- 晩年と死: 心臓病を患い、1927年に61歳で亡くなる。生涯、反権力の姿勢を貫いた活動家だった。
作成日: 2024年2月21日 更新日: 2024年2月21日