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38度線のマリアと呼ばれた「望月カズ」の人生
作成者: 日本人の9割が知らない歴史(@picolis_history)
- 1927年(昭和2年)、東京杉並区高円寺で生まれる。父親の顔は知らず
- 4歳の時、母・望月近衛ちかえと満州へ渡る。母は関東軍の物品納入業
- 母が不審の死を遂げる。使用人に財産を持ち逃げされ、農奴として売られる
- 逃げ出し、11歳で関東軍駐屯地で掃除・洗濯を行い、軍人から基礎教育を受ける
- 17歳で日本人・永松夫妻に助けられ、形式上の養女となり日本国籍取得
- 終戦後、密航して東京に帰国するも焼け野原に絶望し、満州の母の墓を探して自分も死のうと考える
- 朝鮮半島の38度線を越えられず、ソウルに留まる
- 1950年の朝鮮戦争で孤児を助け、孤児の母となることを決意する
- 避難先の釜山で荷揚げ作業や理髪店を営み、孤児の世話をする
- 1953年にソウル帰還後、バラック小屋で孤児16人を育てる
- 1963年に理容師資格取得。「愛の理髪師」と呼ばれるように
- 1968年、区画整理で家を強制撤去され離散の危機に。日韓の支援団体の助けで危機を乗り越える
- 体調を崩し余命を意識し始める。満州の母の望月姓に改名することと、富士山の見える場所で眠りたいと願う
- 1983年56歳で脳内出血で死去。ソウル近郊に埋葬
- 1985年、富士山の見える静岡県富士市の墓地に分骨埋葬
- 碑文「日韓の孤児百三十余人を養育 三十八度線のマリアと呼ばれた望月(永松)カズ 1927年8月3日出生 1983年11月12日没 富士山の見えるところに眠りたいとの遺志をかなえてここに眠る」
作成日: 2024年4月9日 更新日: 2024年4月9日
関連ページ: https://youtu.be/Ft0A7hSsLw4